おしせまりまくり
今年は年度末の3月半ば過ぎにタイに移り住みました。
その間、マッタリとしながらも救急で二度運ばれたりと
(子供達一人ずつですから、幼児がいる家ではまあ少ないペースなのですが、外国なので医療用語が難関ですね)
何かと想定外の事もありましたが、子供達が産まれた時から暮らしていた場所ということもあり
比較的のんびりと波風立たず過ごせました。
多人種の中で様々コミュニケーション術を模索しながら遊べる環境というのも
人種間の軋轢が少ないタイに於いては子供達には良かったようです。
上座部仏教の影響なのだと思うのですが、ある程度の年齢以上の人々が内観という事に関して開けているなぁ〜
という認識も持つ事が出来ました。
「マイペンライ」という時に一呼吸ある感じの人達です。
これは私にとって発露になりました。
20数年かかってようやくこの国の表層を僅かだけれど掠める事が出来たかも知れない、というささやかな実感も得ました。
モノやお金はそこそこで不便さを感じながらも善良な気持ちで美味しいものを食べ、
ゆったりとした時間の中で人間らしく生活していける、という実感覚はけっこう重みがあります。
ノスタルジーみたいなものではなくて。
物質で均衡は保ち得ないだろうと。
地域で停電が起こる→原因究明→復旧工事→復旧。
みたいな流れと
停電が起こる→とりあえずオロオロする→原因究明っぽい談義をする→ボンヤリする→とりあえずお祈りする→いつの間にか誰かが直してる。
みたいな流れだと、当たり前過ぎる程に後者の方が一般的な世界基準だったりしますよね。
まあ、これはどっちでもいいと思うんですけど。
たぶん気象条件なんかが影響する思考の相違かと。
ただ、なんとなく、ああ、ヒューマニズムだなぁっていうのは、復旧派がお祈り派に何やら押し付けてくるイメージのもの。
復旧派は事象を「腑に落としたい欲」みたいものが渦巻いてるように思えるんです。
そこをお祈り派は「事象は事象として静観する」みたいな考え方が通底してるように見えます
(私には後者の方が論理的です)。
腑に落としたい欲って触手を周囲に伸ばしがちな傾向にあるんじゃないかと。
アニミズムを軽んずるな、みたいなのじゃなくてもっとなんというのか
居着きを止めなよ、っていう感じなんですけど。
意識も全然高くなくて。
オッサン化しただけなのかも知れないんですが(こういう事を考えてる自体がオッサンだ)、
自覚的に手放しちゃう方が解決により近いのかも…
と考えるようになりました。
うかうかしてると埋没しちゃう…
っていう。
「しようとしないこと」
「自覚的であれ」
というのが、私のわりと大事なキーワード(by吉本隆明)なんですが、今年は自分なりに実践できたかな、
という感じであります。
けっこうしんどい一年でした。
途中で自分がどうなっちゃうんだろうか…
なんて考えたりもしましたが、それは誰しもそうですもんね。
気負う事なく新しい年を迎えられたら、と思います。
今年はラッキーな事に日本、タイ、諸外国から一癖も二癖もある面々が来てくれて有意義な時間を過ごす事が出来ました。
友人達に感謝であります。
読んで下さっている方々、いつもありがとうございます。
新しい年も訥々と参りましょう。
今日は部屋を綺麗にして家族でお寺に行く予定です。
by barrameda
| 2015-12-31 02:10
| asia
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