夏の日、実存

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タイ・バンコクに移り住み先月で1年が経ちました。


東南アジア、とりわけタイ、ベトナムは比較的イージーに旅することができます。

ですが、長期で現地と関わりながら暮らしていくというのは諸外国同様一定の労苦を伴う訳であります。

日本人の為に出来ている国ではないですからね。


それでも尚も滞在しているというのは痛快な事柄も多い訳で、その中でも実存主義が未だ色濃く残っているというのは

私にとってこの上なく魅力的な点であります。

所謂先進国ではない地域に惹かれる人達にとっては、それがあるから…と言っても過言ではないほど

記号化されていない生や事象を骨肉とする姿勢は重要なファクターを占める一点ではないでしょうか。

日本ではちょっとない程に呆れるような不快な事柄も少々あるにはあるけれど

「お客さんのようにこの世に存在している感じ」という感覚は沸き起こりません。


とあるPodcastでも語られていたのですが

後ろから来た自転車にベルを鳴らされただけで『おまえはもうこの世界に要らないから邪魔』

というところまで切羽詰まる感覚、ある種倒錯した反応」を

(鳴らした方も、黒い物がある場合もあるんだろう)

個人の責任として問うことはちょっと事象に対しての負担が余りに甚大なんじゃないかと思うんです。

承認欲求の飢えというのがもしも時間の流れる速度と比例しているとしたら、

それを慣らしていくのは個人ではかなり難しいんじゃないかと。

感情って爆発したりキレたりするものではなくて日々ほとばしる事柄である事をチョコチョコと

早朝の市場やなんかで再認識できるというのは、フツーに健康的なんじゃないかと思ってます。

どなたかが「IHヒーターが点かないとイラっとするけど薪ストーブが着火しなくてもイラっとはしない」って

おっしゃっていて、脳化する分その側面としての功罪の一つだろうな~と。

「限界」ってその人の脳の限界であるはずです。


少し端折ってますが、『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』の中で村上春樹が


人間の存在というのは二階建ての家だと僕は思ってるわけです。

一階は人がみんなで集まってご飯を食べたり、テレビを見たり、話をしたりするところです。

二階は個室や寝室があって、そこに行って1人になって本読んだり、 1人で音楽を聞いたりする。

そして地下室というのがあって、ここは特別な場所で色んな物が置いてある。

日常的に使うことがないけれど時々入っていって、なんかぼんやりしたりするんだけど、

その地下室の下にはまた別の地下室があるというのが僕の意見なんです。

それは非常に特殊な扉があってわかりにくいので普通はなかなか入れないし、入らないで終わってしまう人もいる。

ただ何かの拍子にふっと中に入ってしまうと、そこに暗がりがあるんです。

その中に入っていって、暗闇の中をめぐって、普通の家の中では見られないものを人は体験するんです。

その暗闇の深さというのは、慣れてくると、ある程度自分で制御できるんですね。慣れない人はすごく危険だと思うけれど。

いわゆる近代的自我というのは、下手するとというか、ほとんどが地下一階でやっているんです、僕の考え方からすれば。

だからみんな、なるほどなるほどと、読む方はわかるんです。

あ、そういうことなんだって頭でわかる。

そういう思考体系みたいなものができあがっているから。

でも地下二階に行ってしまうと、これはもう頭だけでは処理できないですよね。


引用終わり。



たぶん…

ある種の傾向、職業の方達は地下二階に半分浸ってるのが恒常化しているような気もしますが

恒常化してる人達にとって光明があるとすると地下二階の闇の中には瞑想やヨガ含めてフィジカルな鍛錬法との交錯点が必ず用意されている

ということではないかと思っています(そこをたぐり寄せられる、寄せられないは個人に依るけど)。

ただ、村上さんがフィジカルとの交錯点・鍛錬その結果見えてくるに至る実存を含めて地下二階は危険としているとすると

これは、ちょっと怖いなぁ~と思う今日この頃であります。


でも、地下二階って非建設的であったり後ろ向きでは居られない得も言われぬ生の衝動があるような気がするんです。

元気になっちゃうっていう。

果てもなく暗いのか白いのかわからないけど、呪詛とか他者に絡みつく様な営み方は全くなくて、

私には「自分で自分の責任を取って他者が他者の責任を取るのを黙って俯瞰してる」っていうイメージです。

カタルシスって広義的に使われているけど、たぶんここまでどっぷりと落ちた後の視点ではないか…と私は思います。

「則天去私」って言い得てますよ。

端的にコレは究極にネコだな~っと思うんです。

「則猫去私」でも可ですね。



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ですからもうしばらくタイで静かに暮らしつつキーワードは「気楽」で行こうかと思っています。
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by barrameda | 2016-04-23 09:10 | diario | Comments(4)
Commented by tks at 2016-04-30 02:05 x
どうも、ご無沙汰しています。いや、ブログはよく拝見していますので、コメントするのが久しぶりということなのですが。つい書きたくなってしまい!(笑)・・・敬愛するある作家が、村上さんのことを、「実は体制側の人ではないか」というようなことを言っていたのを思い出しました。おそらく日常の裂け目のようなものであろう地下二階に、たとえば近代的自我を揺さぶるような何かが、あるいは世界を変えてしまうような何かがあるとして、それを危険なものとみなすか、本来の、記号化されえない生への、むしろ希望と感じるかというのは大きな違いで、・・・個人的には芸術家は後者であって欲しいと思いますが(笑)。いや、若い時分は、どうしようもない現実の中で、それでもクールに生きる主人公を、単純にかっこいいと思っていたのですが(笑)、そのどうしようもなさばかりを、仕方がないような形で描くのは、確かにある意味で体制側に奉仕しているのかもしれない、と思う今日この頃です。・・・とはいえ、私たちはといえば、私とD君ですが、最近ますます、記号化された生さえ、鳴り止まないベルやらクラクションに脅かされ、ともすると地上七階から飛び降りてしまいたくなる衝動にかられたりもするのですが、いや、むしろ、それだったら、そこから高飛びして、メコン川近くにあるという、地下二階という名の店で、酩酊したいなあ、なんて話ばかり二人でしています(笑)。
Commented by barrameda at 2016-05-01 13:24
tksさん

おはようございます。
こちらこそご無沙汰しております。そしてコメントありがとうございます。
いやー、忙しいし子育てに追われるしお互いしんどいですね(笑)。

村上さんの考察、興味深いですね、確かに明確な救いの手段みたいなものを明示しませんものね。
たぶん、勝手な僕の類推なんですけどイスラエルでのスピーチから受ける印象は
彼はやはりマイノリティ側の視線を固持していくのかな、って思うんです。
ただ、風のような文体で(彼の作品には檀一雄とか安吾のような反体制の人間の手触り感のある気骨ってないですもんね)
透徹していくと現代のように選択肢がいくらでもあるような場合に於いては
不可逆的な黒いものがあるとして、それに包まれてしまう事もありそうですね。
明示したらしたで文章から生命力みたいなものが削がれてしまったりとか。

7階から飛ばないでくださいね(笑)。
先日、救命救急医の友人が仕事中に9階から転落した男性の命を救い取り留めました。
よかったねぇ~なんてしみじみ言ってました(笑)。
日本はどこよりも素晴らしい国なんですが生き難いのも事実ですよね。
自殺率はアメリカの2倍イギリスの3倍だそうです。
一般的な先進国同様9ー5時就業を徹底したら少しは改善されるんでしょうか。
http://www.jfn.jp/News/view/people_02/36591

タイ、是非、是非いらっしゃいませんか。
シンハという名の甘露で酩酊しましょう。もちろん地下二階で!
D君もいつもtksさんがここにいたらなぁ…って言ってます。
今年中くらいで皆で予定合わせてみましょう。
僕も様々しんどいので助けにいらしてください(笑)。
Commented by tks at 2016-05-07 00:47 x
こんばんは。日本はGWですが、病んでいるのは、むしろ五月病を病気だと思ってしまうことの方なのかもしれませぬ(笑)。

まさにその「壁と卵」について、ある作家が示唆していたのですが、高くて固い壁と壊れやすい卵というのは、どんなに卵側に立つといっても、実は壁なんです、という・・・。繊細な話で難しいですし、壁側というのは言い過ぎかもしれないですが・・・、おそらく、卵だからなすすべもないし仕方がない、では壁もまたそのままではないか、という・・・。確かに卵(自我)が壊されることは絶対に許しがたく、繊細な思いがあるとは思います。・・・しかし、たとえば壁の向こう側に向けて歌われた歌があったとして、数年後、実際にその壁が壊された、個人的にはこういう話の方が好きです! いや、あまり詳しくは知らなかったのですが、この間、新映像の世紀という番組を見ていたら、暴威がカッコよかったです!!  

近代ヨーロッパ生まれのこのシステムは、素晴らしい日本の人たちの良さを喰いモノにしているのでしょうか。近年、一億総活躍社会とか女性雇用促進、というようなことが叫ばれる割に、保育園問題もそうですが、ワークライフバランスという方向に向かう気配もなく、多くが生き難いのでは、資本(家)の思惑であろう、単に労働者=消費者を増やしたいだけではないか、と勘繰ってしまいます。9-5時就業とか、日本もそうなればよいのでしょうが、ヨーロッパなどは闘って勝ち取ってきた歴史があるからなのか。・・・最近「ルポ雇用なしで生きる―スペイン発 」という本を読んだのですが、地域通貨とか時間銀行という取り組みにすごい可能性を感じました。

タイに行けるといいのですが、実は今年、まだ予定ですが、もう一人・・・!・・・いや、メコン川のほとりで、遊ぶ子どもたちの傍らで酩酊する大人たちという、風景を夢にさえ見るのですが、いつか叶えたい! きっとその頃にはD君も・・・!?
Commented by barrameda at 2016-05-11 12:12
tksさん

こんにちは。
五月病、言葉として定義されているということはやはりエアポケット的な凹みに落ちやすい時期なんでしょうね。
二十四節気みたいなものに抗わない方が無理がないのかも知れませんね。
晴耕雨読なんて昔は当たり前だったのに今では一つの理想みたいな感じです。

あらゆる事象は良いとか悪いで判断せずに事象そのものとして受け入れるしかないのが人間の最終的な姿なのかもしれません。
「起こる全てのことはどうでもいいことなんです。問題はそれを客観的に見据えてポジティブな方向に
自分を導けるかどうか…」っていう考え方に最近感化されてきました。
大前研一(あまり好きじゃないですが)が、
『人間が変わる方法は3つしかない。

1番目は時間配分を変える。
2番目は住む場所を変える。
3番目はつきあう人を変える。

この3つの要素でしか人間は変わらない。
最も無意味なのは『決意を新たにする』ことだ。』

これ、核心をついてるな〜って。
自己感情に対する執着が強いと全部できないんですよ。
たぶんなんですけど、最もそれを強く阻むのって承認欲求ですよね。
これは視点を少し強引にでも変えていかないとかなり辛いわだかまりとなってその人を蝕みそうな気がします。
糸井さんが言ってたバカの定義→「俺をもっと認めろ」的な感じで。
子を育てるってこの問題が根こそぎかつ荒っぽくここを真っさらにしちゃうんじゃないでしょうか。

ヨーロッパ発祥の通貨発行権のある人たちの行動原理は今も殆ど変化していないと思います。
税収を納めさせて官僚の天下り先を増やすという二大原理です。
日本はかなり巧妙にやっていると思いますが、最近は少しあからさまなとこもありますね。
ランドセル会社とかタバコのIDカードとか不要な物に癒着体質の凄まじいカネが動いていそうです。
大きな渦の本質を見る目だけは養っていきたいですよね。

D君より先日伺いました、新しくご家族が増えるんですよね!
第二子が生まれると人生から静止する時間がなくなりますよ〜(笑)。
是非是非子供達を遊ばせながら酩酊しましょう。
D君もホントにね、その頃にはね。
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