arcos de la frontera 1
先日、アルコス・デ・ラ・フロンテーラという村に行って来ました。白壁の家々が美しい、小高い丘の上にある村です。典型的なアンダルシアの白い家並みといった感じでしょうか。
バスに揺られて30分と少し。荒涼としてます。
私は富良野を数回訪れてますが、あの奥行きを凌駕してます。が、最近なんとも思わなくなってしまいました。
ヘレスサーキット。レース本番の他、F1直前の調整、新車種のテスト走行など世界の名立たる車メーカーが極秘裏に進めるプロジェクトには必ず使用されます。乾燥していて路面のコンディションが良く、タイヤの接地率など限界の数値が叩き出せるのだそうです。
サーキットの前を通ったら、若井伸之さんの事を思い出しました。
ー以下、wikiより抜粋ー
1993年、若井はスズキから型落ちのワークスマシンRGV250-γの貸与を受け、念願の250ccクラスにステップアップ。順風満帆だった矢先、突然悲劇が起こった。1993年第4戦スペインGP予選中、タイムアタックを行うべく、フル加速でピットロードから飛び出そうとしていた若井の前に、突然観客がオフィシャルの制止を振り切って飛び出してきた。この観客はイタリア人ライダー、ロリス・レジアーニの招待客であり、本来パスがなければ入れないところにいたところオフィシャルに声をかけられ、発覚を恐れてこういった事態になったのである。何とかその軽率な観客を避けようとした結果、完全には避け切れなかったものの観客は軽傷で済んだが、若井本人はバランスを崩してピットロードのコンクリートウォールに激突。頭部を強打した若井は懸命の治療の甲斐無く死去、享年25であった。1986年完成したヘレスサーキットで初めての死亡事故となった。
レース決勝、250ccでは原田が独走で優勝。125ccではショックから直前までレースをキャンセルしようと考えていた坂田も、これに奮起して参戦を決意、ラルフ・ウォルドマンを振り切り、WGP初優勝を遂げる。どちらも若井の無念を晴らすかのような、気迫溢れる走りだった。レース終了後、原田は表彰台に上がらずバイクにまたがったまま号泣し続け、坂田も表彰台でただ悲壮な表情と涙をみせた。原田はこのときの優勝トロフィーを、若井の遺族に送ったという。
その後、募金で集めた資金でヘレスサーキットには若井を偲ぶフラミンゴのモニュメントが建てられた。その余剰金は、モンゴル国のアイスレースへの支援にも使われ、フラミンゴカップとして開催された。
私の家の近所の雑貨屋さんは若井さんの写真をショーウインドウに飾ってくれております。
到着しました。坂の多い村で、バス停から丘の上のカテドラルに行くまで一苦労。15分くらい坂を上り続けます。
相変わらず最高にフォトジェニックな所です。広角レンズを持って一人でフラフラできる幸せを感ぜずにはおれません。
たくさん写真を撮影してきました。アルコスがもう少し続きます。
バスに揺られて30分と少し。荒涼としてます。
私は富良野を数回訪れてますが、あの奥行きを凌駕してます。が、最近なんとも思わなくなってしまいました。
ヘレスサーキット。レース本番の他、F1直前の調整、新車種のテスト走行など世界の名立たる車メーカーが極秘裏に進めるプロジェクトには必ず使用されます。乾燥していて路面のコンディションが良く、タイヤの接地率など限界の数値が叩き出せるのだそうです。
サーキットの前を通ったら、若井伸之さんの事を思い出しました。
ー以下、wikiより抜粋ー
1993年、若井はスズキから型落ちのワークスマシンRGV250-γの貸与を受け、念願の250ccクラスにステップアップ。順風満帆だった矢先、突然悲劇が起こった。1993年第4戦スペインGP予選中、タイムアタックを行うべく、フル加速でピットロードから飛び出そうとしていた若井の前に、突然観客がオフィシャルの制止を振り切って飛び出してきた。この観客はイタリア人ライダー、ロリス・レジアーニの招待客であり、本来パスがなければ入れないところにいたところオフィシャルに声をかけられ、発覚を恐れてこういった事態になったのである。何とかその軽率な観客を避けようとした結果、完全には避け切れなかったものの観客は軽傷で済んだが、若井本人はバランスを崩してピットロードのコンクリートウォールに激突。頭部を強打した若井は懸命の治療の甲斐無く死去、享年25であった。1986年完成したヘレスサーキットで初めての死亡事故となった。
レース決勝、250ccでは原田が独走で優勝。125ccではショックから直前までレースをキャンセルしようと考えていた坂田も、これに奮起して参戦を決意、ラルフ・ウォルドマンを振り切り、WGP初優勝を遂げる。どちらも若井の無念を晴らすかのような、気迫溢れる走りだった。レース終了後、原田は表彰台に上がらずバイクにまたがったまま号泣し続け、坂田も表彰台でただ悲壮な表情と涙をみせた。原田はこのときの優勝トロフィーを、若井の遺族に送ったという。
その後、募金で集めた資金でヘレスサーキットには若井を偲ぶフラミンゴのモニュメントが建てられた。その余剰金は、モンゴル国のアイスレースへの支援にも使われ、フラミンゴカップとして開催された。
私の家の近所の雑貨屋さんは若井さんの写真をショーウインドウに飾ってくれております。
到着しました。坂の多い村で、バス停から丘の上のカテドラルに行くまで一苦労。15分くらい坂を上り続けます。
相変わらず最高にフォトジェニックな所です。広角レンズを持って一人でフラフラできる幸せを感ぜずにはおれません。
たくさん写真を撮影してきました。アルコスがもう少し続きます。
by barrameda
| 2007-09-06 21:55
| andalucia
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